たろうの城ぶら日記

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麒麟がくる~福知山城の魅力&見どころ~

6回目の投稿は今の大河「麒麟がくる」の主人公である明智光秀が築城したことで

知られる福知山城(ふくちやまじょう)をターゲットにします。

丹波国平定の暁として築城された福知山城。

光秀自身が城主であったのは、3年間しかありませんが、

城自身は福知山藩の中心地としてあり続けました。

今回も歴史に始まり、その魅力や見どころについて紹介していきます。 

 

 

【福知山城の歴史】

福知山城の位置する丹波国(福知山)の歴史を中心に

城の歴史を見ていきたいと思います。

 

①建国~室町時代

福知山は畿内と出雲等を結ぶ山陰道の要所として発展したと考えられております。

縄文時代からは少なくとも人が定着していたことが遺跡などから判明しており、

古墳時代の有名な遺跡である広峯古墳群からは盤龍鏡が発見されております。

政治の中心地が畿内に移っていくにつれ、さらに重要度を増していた丹波国ですが、

統一する勢力は現れず、三盆地(由良・福知山盆地、亀岡盆地、篠山盆地)ごとで

自立した勢力が乱立していました。

 

室町時代に入ると丹波国一帯は守護細川氏の配下に属します。

その細川氏の庇護のもと塩見氏福知山盆地の丘陵地に土塁や空堀から成る城を築城

龍ケ崎城(後の横山城)と名付け、ここを本拠地とし天田群(福知山)の統一を達成、

領地の発展に努めます。

その後、丹波国の支配権は細川氏から内藤氏、赤井氏とめぐるましく変化しますが、

横山城は塩見氏が引き続き統治します。

 

明智光秀による築城

16世紀後半になると天下統一を目指した織田信長の軍勢が畿内を支配していきます。

畿内の次に中国地方に狙いを定めた信長は、山陽道羽柴秀吉

山陰道明智光秀に攻略を命じます。

光秀が侵攻してくると横山城は落城、戦国大名塩見氏は滅亡し、

福知山は光秀の配下となります。続く黒井城の戦いで赤井氏を滅ぼした光秀は

丹波の統一を達成、支配拠点として横山城を近世城郭へと改築し、

福知山城を築城いたします。

 

1582年本能寺の変後の山崎の戦いで光秀が敗れると、

福知山城も豊臣軍に攻められ落城、以後は豊臣方の武将が城主となります。

1600年の関ヶ原の戦いの際、城主であった小野木重勝は西軍として戦いに参加、

京都周辺の徳川拠点を攻略するも関ヶ原の戦いで豊臣方が敗北したのを受けると

福知山城に撤退、引き続き抗戦するも落城します。

 

関ヶ原の戦い後に入城した有馬豊氏は福知山城を改築、現在に残る城郭、

城下町の形態になったと言われております。

その後しばらくは一代限りの城主が続きますが、17世紀後半に朽木氏が入城すると

以後福知山城は朽木氏の配下の下もと明治維新をむかえることとなります。

 

明治時代に入ると1873年の廃城令を受けて本丸付近の石垣、天守台を残して解体、

二の丸は削り取られ住宅地へと変化してゆきます。

1980年代に入り、町のシンボルとしての城の復興の声が高まると

市民を中心に「瓦一枚運動」がおこり、

福知山城は市の予算をほぼ使うことがなく復興され今日に至ります。

 

【福知山城の見どころ】

ここからは福知山城の魅力について書きます。

明治時代以降の近代化の中で二の丸を始めとした遺構が消失しまっており、

残念ながら縄張りがわかるものはないものの、

本丸を中心に一部当時の遺構が残っており、見どころは多いです。

個人的な注目ポイントは以下の3点になります!!

 

①石垣の転用石

本丸や天守台の石垣は野面積みで築かれており改築は加えられているものの

築城当時からほぼそのままの姿をとどめています。

また、石垣をざっと見ただけでも五輪塔や宝篋印塔といった仏塔が

使われているのがわかります。築城において、こういった転用石が使われることは

珍しくないですが、福知山城はかなり多いのが特徴になっており、

発掘調査により少なくとも500個以上の転用石が確認されております。

実際に近くの寺社では、光秀が石を持っていた記録も残っており、

築城が急ピッチで進められたことがわかります。

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(福知山城天守台。転用石がかなり目立つ)
 

② 大天守、小天守

福知山城は二つの天守を持ったお城です。中は福知山郷土資料館になっており、

城の歴史と合わせて福知山の歴史を学ぶことができます。

この天守ですが、二階の隅が飛び出ているのは石落としがあるからであり、

城壁にも鉄砲狭間が空いており、防御面設備が整っていたことがわかります。

また、大天守の張り出し部(飛び出た部分)の石垣をよく見てみると、

真ん中あたりに切れ目が入っているように見えます。

これは、築城当時(光秀の時代)は半分しか築かれていなかったものが、

その後の時代(改築した豊氏の時代?)に継ぎ足されたことがわかります。

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(大天守張り出し部。二階に狭間や石落としが、天守台には切れ目が確認できる)

 

③豊磐の井戸

天守閣の東側にある井戸になります。

本丸等の城郭に井戸があること自体は珍しくないのですが、

福知山城の場合はその大きさが目を引きます。一辺2.5mの正方形の形をしており、

その深さは50mともいわれており、日本の城郭の井戸でも有数の深さを誇ります。

しかも、その水脈は今なお絶えることなく水が湧き出ております。

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(豊磐の井戸。目視で確認はできないが今も水が湧いているといわれている)

【福知山城のアクセス】

 最後に福知山城のアクセスについて書きます。

車:福知山城前に駐車場有り。駐車場から徒歩5分程度

電車:「福知山駅」より徒歩15分

 

福知山城は築城以降、丹波国の象徴的な建造物でありました。

丹波観光と合わせて是非足を延ばしてみてください。