たろうの城ぶら日記

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千人殺し~延岡城の魅力&見どころ~

17回目の投稿は延岡城(のべおかじょう)をターゲットにします。

延岡城日向国(今の宮崎県)の北に位置し、延岡藩の藩庁として栄えました。

今回も歴史に始まり、その魅力や見どころについて紹介していきます。

 

 

延岡城の歴史】

延岡城の位置する日向国の歴史を中心に城の歴史を見ていきたいと思います。

 

①古代~鎌倉時代

弥生時代日向国は青銅器が欠如していたこともあり独自の石包丁が発達するなど

独特の文化が発展していました。古墳時代に入ると畿内型の古墳群が各地に

建造されており、近畿地方と何かしら関係性があったことがうかがえます。

 

7世紀に日向国が成立、大隅近辺の隼人に対する最前線となっておりました。

当初は大隅国薩摩国の一部も有していましたが、

畿内の影響力が拡大するにつれ両国とも分離、今の日向国となります。

 

鎌倉時代に入ると地方豪族が力をつけ、縣(あがた、今の延岡)周辺を土持氏

高千穂周辺を三田井氏が支配を固めます。

しかし、一方で薩摩・大隅島津氏日向国の南部の伊東氏といった守護や地頭に

命ぜられた鎌倉御家人が皇族として勢力を拡大していきます。

以降、日向国では在地勢力と新興勢力による支配権をめぐる争いが激化します。

 

室町時代~近現代

日向国で勢力を拡大した土持氏と伊東氏は、当初は友好な関係を築いておりまが

室町時代末期になると日向守護職をめぐり争うようになります。

15世紀半ば両氏はついに激突、小浪川の戦いでぶつかります。

この戦いは伊東氏の勝利に終わり、以降日向国は伊東氏による支配が進み、

一方の土持氏は衰退、伊東氏や島津氏といった周辺大名の家臣となっていきます。

延岡中心に勢力を誇っていた縣土持氏は豊後の大友氏に臣従、

更には島津氏と手を結び伊東氏に抗い続けます。

 

しかし、16世紀後半に島津氏が伊東氏を滅ぼすと、島津氏の勢力拡大を恐れた

大友宗麟は縣土持氏の松尾城を攻略、縣土持氏は滅亡します。

日向国の支配権は、島津氏と大友氏の一騎打ち様相を呈しますが、

耳川の戦いで島津氏が勝利したことにより決着がつきます。

しかし、島津氏の日向支配は長くなく豊臣秀吉による九州侵攻が始まると

島津氏は降伏、日向国の縣周辺の領土は高橋元種に与えられます。

 

元種は関ヶ原の戦い後に縣城(あがたじょう)を築城、縣藩の基礎を固めます。

元種が改易されると日野江藩から有馬直純が赴任、直純は縣城を改築、

更には城下町を整備、城を延岡城、付近の街を延岡へと名称を改めます。

しばらくすると有馬氏は丸岡藩に移封、その後三浦氏、牧野氏、内藤氏と

延岡の統治者は変わっていきます。

延岡城も櫓が焼失するなど徐々に変わっていき、石垣のみを今日に留めております。

 

延岡城の見どころ】

ここからは延岡城の魅力について書きます。

延岡城天守が築かれず、代用の櫓も焼失後に再建されなかったことから

戦闘用の城というよりは、政治的な城の側面が強かったと思われます。

個人的な注目ポイントは以下の2点になります!!

 

①千人殺しの石垣

復元された北大手門入ってすぐにあるのが「千人殺しの石垣」になります。

二の丸にあるこの石垣は、隅部の石を引き抜くと石垣が崩れ落ち千人の敵を

倒すことができるといわれております。

高さが約19m、総延長70mになる本石垣は延岡城を象徴する存在になっております。

 

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(千人殺しの石垣。隅部の左下の石を抜くと石垣が崩れるとされる)

 

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(復元された北大手門。奥に見えるのが千人殺しの石垣)
 

②城郭の造り

延岡城は堀等の遺構が残っておらず、二の丸や本丸等の遺構のみとなっているため

少し小さい城郭に思えます。しかし、北大手門から本丸に向かって歩いていくと

かなり入り組んだ形をしていることに気づきます。

また、千人殺しの石垣以外も石垣が残っており、

時代による石垣を造る工法の違いを感じることもできます。

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(二の丸から本丸へむかう登城道。石垣をぐるりと回ることとなる)

 

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(天守台跡にある鐘付き堂。明治時代に造られた)

 

延岡城のアクセス】

 最後に延岡城のアクセスについて書きます。

車:北大手門近くに駐車場有り。駐車場から北大手門まで徒歩すぐ。

電車:延岡駅から徒歩25分で北大手門。

 

延岡城は石垣のみが残る城ですが、その石垣が最大の魅力です。

宮崎観光の際は是非足を延ばしてみてください。