たろうの城ぶら日記

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堅牢な城~松江城の魅力&見どころ~

11回目の投稿は松江城(まつえじょう)をターゲットにします。

宍道湖の近くにあり主に水運の面で発展した松江城は現存12天守の一つでもあり、

国宝指定されている5城の一つでもあります。

今回も歴史に始まり、その魅力や見どころについて紹介していきます。

 

 

松江城の歴史】

松江城の位置する出雲国の歴史は月山富田城の記事の際に書いたため、

今回は城の歴史を中心に見ていきたいと思います。

 

①江戸時代以前

鎌倉時代承久の乱で功をあげた佐々木義清出雲国守護に任命され、

月山富田城に入城します。この時松江にも佐々木氏が赴任してきたと

考えられており、亀田山に末次城(すえつぐじょう)を築城、

これが後の松江城の原型になります。

 

松江の佐々木氏は、末次氏と改名し、以後山名氏、京極氏、尼子氏といった

出雲の支配者の家臣として活躍します。

しかし、毛利氏が出雲に侵攻してくると尼子氏と共に末次氏はこれに反抗、

幾度か交戦しますが最終的には敗れ末次氏は滅亡します。

末次城は毛利氏の手に渡り江戸時代を迎えることとなります。

 

②築城~近現代

関ヶ原の戦いで毛利氏が敗れると、出雲には功を上げた堀尾氏が支配者となり、

月山富田城に入城します。堀尾氏は月山富田城を近世城郭に改築する一方で、

山城の不便さの点から城下町の作れる新城の候補地を探しておりました。

その際に、堀尾忠氏は末次城の立地に目をつけ松江城の築城を命じます。

1611年に松江城(本丸等)が完成、月山富田城より堀尾忠晴が移り、

以後松江城出雲国の中心地として発展していきます。

 

堀尾氏が改易になったあと入城した京極氏松江城をさらに改築、

三の丸(今の島根県庁近辺)を増築し御殿を建造、

執政の場を天守閣から三の丸ぼ御殿に移します。

これ以降、天守閣は倉庫として使われていたと考えられております。

(同様の用途は伊予松山城にも見られます。)

 

京極氏が1640年頃に途絶えると松平氏が入城します。

明治維新まで松江藩を統治するようになります。

松平氏に代わって100年ほどした1738年頃に松江城は大規模な改修が入っており、

天守閣等は現在の姿になったと考えられております。

明治時代に入ると明治6年廃城令を受けて天守以外の建物は

全て払い出され、解体されてしまいます。

天守も一度は払い出されるものの、松江の有力者がこれを買い取り保護、

松江城は解体の危機を乗り越え今日でもその姿を留めております。

 

松江城の見どころ】

ここからは松江城の魅力について書きます。

長らく出雲の中心地は「難攻不落の城」と言われた月山富田城でありました。

しかし、松江城もその月山富田城に負けないくらい堅牢な城になっております。

そんな松江城の個人的な注目ポイントは2点です!!

 

現存天守

松江城の大きな特徴である現存天守ですが、その防御面の高さに驚かされます。

まず、2階には石落しが完備されており、石垣を登ってくる敵の侵入を防ぎます。

さらには合計90近くの鉄砲狭間が壁に配置されており、

本丸から天守への敵の侵入を防ぎます。

 

また、城内においても天守内に井戸が設けられており、

籠城戦を想定していた策がとられていたと考えられます。

これは現存天守としては唯一の遺構であり、

堀尾氏が前の居城である浜松城を真似たのではと考えられております。

これ以外にも城内に向けられた鉄砲狭間(付櫓と天守の間)

さらには天守内の階段に引き戸(有事の際は階段を戸でふさぐことができる)など、

敵が天守内に侵入した際の防御策が備えられているのも

松江城の大きな特徴になっております。

 

狭間(さま)とは・・・

復元された城等で確認することができる土塀や城壁に空いた隙間のことで、

矢を射るための矢狭間、鉄砲用の鉄砲狭間(鉄狭間)等があります。

中には隠し狭間と呼ばれる一見すると分からない狭間もあります。(姫路城等)

 

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(松江城天守。手前に見えるのが付櫓であり石落しが確認できる。)

 

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(天守内の井戸。遺構としてはかなり珍しいものである。)

 

②城郭のつくり

松江城のもう一つの特徴として天守閣自体の防御性能が高いだけでなく、

城としても防御性能が高い作りになっていることがあります。

 

城の入り口である大手門は外出し型の枡形虎口(馬出虎口に近い形)となっており、

入城しようとする敵は二の丸等から狙い撃ちできる作りになっております。

また、二の丸が二つに分かれており、敵が天守閣にたどり着くには

二の丸(下)→二の丸(上)→本丸と登っていく必要があり、

防御側からすると上から攻撃できるので非常に有利な作りになっております。

 

江戸時代に築城されたため松江城は実際に攻められたことはなかったですが、

例え攻められたとしても難攻不落の城になったと思われます。

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(大手門付近から枡形虎口を撮影。馬溜と呼ばれ出陣の際の待機所にもなった)

 

月山富田城vs松江城

島根県がPRとして下記のサイトに「鷹の爪」とタイアップして

月山富田城松江城のPR動画を出しています。

かなり面白いので是非ご覧ください!!!

https://www.youtube.com/watch?v=7iWieM6_bU4&feature=youtu.be

 

松江城のアクセス】

 最後に松江城のアクセスについて書きます。

車:大手門近辺に駐車場有。そこから本丸まで約10分

電車:松江駅からレイクラインバスで「大手前」下車徒歩10分(本丸まで)

 

いかがでしたでしょうか。

先日紹介した月山富田城と合わせると城郭の防御面について

かなり学べると思います。

松江観光と合わせて是非足を延ばしてみてください。