たろうの城ぶら日記

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百万石の城~金沢城の魅力&見どころ~

9回目の投稿は金沢城(かなざわじょう)をターゲットにします。

百万石と言われる加賀国、ひいては北陸地方の中心地であり続けた金沢城

今回も歴史に始まり、その魅力や見どころについて紹介していきます。

 

 

金沢城の歴史】

金沢城の位置する加賀国の歴史を中心に城の歴史を見ていきたいと思います。

 

①古代~室町時代

加賀においては、旧石器時代の人が住んでいた遺構が発見されております。

また、縄文時代古墳時代の遺構も数多く発見されており

その数においても石川県内で指折りの数に入ることから、

古くから北陸地方における中心地であったと考えられております。

 

6世紀中頃に仏教が伝わると、有力豪族が信仰したと考えられており、

平安時代に入ると土着の信仰と融合し発展をしていきます。

また、9世紀になると、越前国から分離する形で加賀国が建国されます。

当時の律令体制下における最後の国となった加賀国ですが、

各地で有力豪族が乱立する形で統一者のないまま室町時代を迎えます。

 

室町時代に入ると、富樫氏加賀国守護職に就き、

以後富樫氏が世襲していくことになります。

しかし、富樫氏には地場の有力豪族をまとめる力はなく、

しばしば守護職をめぐる争いが勃発します。

 

加賀一向一揆

15世紀後半、時の加賀国守護であった富樫政親は、守護職をめぐる

富樫家の内紛の勝利を目的に蓮如を中心とした本願寺勢力の力をかります。

しかし、内紛終結後に政親は仏教徒を弾圧、加賀の門徒は一時越中に逃れます。

越中に逃れた本願寺勢力は、政親が越中石黒氏と結んで弾圧を拡大すると、

これに反発、1481年越中一向一揆をおこし石黒氏を討ち取ります。

さらに一揆衆は加賀に帰還、政親の支配に不満を持っていた

国人衆を仲間につけ1488年加賀一向一揆をおこし、政親を討ち取ります。

ここから加賀国は約100年にわたり仏教徒が支配する国となります。

 

16世紀中頃に一揆衆は尾山御坊を建築、

ここを中心地にすえ北陸全体に一向一揆を広めようとします。

しかし、当初は朝倉氏上杉氏といった諸大名の侵攻を

撃退していた一揆衆ですが、この時期になると勢力に陰りが見えてきます。

そして、1580年織田信長軍の佐久間盛政により尾山御坊が陥落、

ここに加賀一向一揆は終焉を迎えます。

 

金沢城築城~近代

一揆鎮圧の功で加賀国を与えられた盛政は、尾山御坊を近世城郭に改築し、

金沢城と名付けます。盛政が賤ケ岳の戦いに敗れたのちに入城した前田利家は、

城を尾山城と改称します。その後、利家はバテレン追放令で船上城を追われた

高山右近を保護、右近の指示のもと城の大改築に乗り出します。

この改築により今の城の原型が完成したと言われ、名前も再度金沢城に改め、

以後加賀百万石の中心地であり続けました。

金沢城天守閣は、この改築の中で築かれたのですが、その後の落雷で焼失、

代わりに三階櫓が築城され代用されたと伝わります。

 

明治時代に入ると明治6年の廃城令による破却は免れたものの、

その後の火災でほとんどが焼失してしまいます。

城内には石川門三十間長屋鶴丸倉庫を残すのみとなり、

今日までその姿を留めております。

 

金沢城の見どころ】

ここからは金沢城の魅力について書きます。

個人的な注目ポイントは以下の3点になります!!

 

①石川門

金沢城の数少ない現存建築物になり、

それと同時に数少ない現存する枡形虎口の一つになります。

兼六園との境にあるこの門ですが、当時は搦手門、つまり裏門として

利用されておりました。大火等により門自体は何度か改築されており、

石垣の作りが分かれているのも特徴になります。

 

ちなみに兼六園も元々は金沢城の一部であったとされており、

城と園は元々土橋でつながっていたとされています。

また、園内の山崎山は城の外郭を表す土塁の一部であり、

近くの池は堀の名残になります。

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(石川門。石川門に続く橋は元々土橋であった。)
 

②五十間長屋

五十間長屋とは菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ多門櫓になります。

2001年に再建された建築物になりますが、

金沢城を代表する建築物であり、釘やボルトを使わず

木組みのみで建築されており、国内でも最大級の木造建築物になります。

櫓自体には石落としや、階ごとに窓が互い違いになり死角を作らないようにする

など実戦的な仕組みが見て取れます。

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(鶴の丸広場側から見た多門櫓。金沢城を代表する建築物である。)
 

③瓦、壁の作り

金沢城は瓦、壁の作りにも特徴があります。

瓦は普通の瓦ではなく、鉛瓦を用いており、

それゆえ金沢城の白さをより際立たせております。

鉛瓦を用いた理由については、屋根の重量を軽くする、

有事の際の鉄砲玉の材料にする等々あげられておりますが

明確な理由はわかっておりません。

 

壁については、なまこ壁(海鼠壁)と呼ばれる作りになっております。

壁に平瓦を並べ、その継ぎ目の漆喰をかまぼこ型に盛り上げる作りになります。

この作りは防水や防火性を高めるものとして、市中の蔵等では

用いられておりましたが城郭で用いているのは珍しく、

金沢城の大きな特徴になっております。

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(現存する三十間長屋。鉛瓦となまこ壁が確認できる。)

 

金沢城のアクセス】

 最後に金沢城のアクセスについて書きます。

車:兼六園周りを中心に駐車場有。駐車場から徒歩10分で城郭

電車:「金沢駅」より路線バス「金沢城公園・兼六園」下車すぐ

 

金沢城北陸地方の中心的存在として優美な城になります。

また、城だけでなく城下町もきれいに整備されており、

当時の名残を確認することができます。

北陸観光の際は是非足を延ばしてみてください。